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第7回 「常識」との付き合い方

 社会の中で周りの人と調和して平和に暮らす上で「常識」は必要であり、大切です。しかし、アイデアを生み出そうとするとき、あるいは自由に発想をする上で、「常識」は困り者です。

 先日、わたしどものあるクライアントさんが、ある日突然に競合他社から特許を侵害しているとの通知を受けられました。その機能は、競合他社が申請する以前からその会社の製品には組み込まれていたものです。  わたしどもでは、その製品の説明書の作成を受注しており、その機能についての内容や使い方を詳しく説明していました。 そこで、今回の通知に対して、「該当の機能を使った製品の説明書は、私どもが何年何月に制作しました」という証明書を発行して、世間に広く知られていること(公知の事実)ということで反論されました。  この例の場合、該当機能を「そんなの常識、当たり前」と考えたことが問題の発端です。その結果、特許出願することを思い付かず、製品を出荷されました。出荷した時点で、その機能は公知の事実となり、特許性はなくなります。 説明書を制作する時点で、該当の機能は「良くできているな」とは思いながらも、いとも当然のように説明をお聞きしたものですから、「この業種・業界では当たり前のことなんだ」と私も勝手に受け止めていました。この時点で私も一緒に「常識」に惑わされていたのです。 このとき、「常識、当たり前」と考えず、新鮮な目で新規性・特許性の有無を確認して申請しておけば、そのクライアントさんは競合他社から侵害と言われるどころか、逆にビジネスが有利に展開できた可能性が高いのです。

 「専門バカ」と言う言葉がありますが、その業界にどっぷりとつかってしまうと、自分がどこにいて、どういうものかわからなくなってしまうことから陥る症状です。 自分のいる業界から一歩離れた場所から見ると、非常に珍しく新規性のある技術・機能でも、その中にいると「常識、当たり前」になってしまう。今回の例は、私も含め、まさしくこのパターンの典型です。

 「専門バカ」はなにも技術的な面だけではありません。日常生活においてもまた同じようなことが言えます。 この長期にわたる不況の中にいると、これが当たり前と感じてしまって、仕事や注文がないのは「不況だから当たり前」、物が売れないのも「当たり前」と思い込みがちです。 生き物の中で言い訳を考えるのは人間だけではないかと思いますが、今まさに最高の言い訳の「材料」がゴロゴロころがっている状態です。言い訳のネタを探したり、考える努力すらも要らないくらいに。 「専門バカ」ならぬ「不況バカ」に陥っていることもあるのではないでしょうか。 一度現在の状況を第三者的にとらえて眺めてみるのも、一つの刺激になると思います。 と言っても、バブル時代を回顧して「あの時代は良かった」と懐かしむことでは、決してありません。 たとえば、「蜘蛛の糸」の話のように高い位置から不況の中で蠢いている様を想像するとか、宇宙の中の銀河太陽系第三惑星の中の自分を見つめたらどう見えるかなどの方法で。

「常識」の話に戻します。アイデアを発想する上で、「常識」は邪魔ですから、発想する間は、頭の中は「第一級の非常識人間」になりましょう。 ではどうやって「常識」を捨てる、あるいは束縛から逃れられるかですが、私は子供の頃の何でも自由に空想できたころの自分を思い出すことにしています。 たとえば、「大人になったら絶対○○○になるんだ」とか、「漫画に出てくるような大空を自由に飛びまわれる乗り物を作ってみたい」など、何ら束縛されることのない無限の空想空間に自分をふんわりと浮かべてみます。 こうすると、自由に発想できるだけでなく、今の自分が、世間や自分が作り上げた「常識」に縛られ、夢もしぼみかけ、ちっぽけな人間になってしまっていることに気付かせてくれることもあります。

 一度、子供の頃の自分にタイムトリップしてみてはいかがですか。

 最近ほとんど思い出してもらえず、寂しそうな表情をしていた子供の頃の自分の顔に、ぱっと明るい表情が戻ると思います。そして、いろいろな面で意外な発見があると思います。