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第6回 発想法の意味

 これまで5回にわたり発想法について述べてきましたが、ある方から「世の中に発想法はどれぐらいの種類があるのか」そして「どれくらいマスターしておけば良いのか」との質問を受けしました。 また、「第1回 問題意識の持続と「ネタ」探しの練習法」や「第4回 プラス不満のススメ」は「発想法」でなはいのではとの指摘も受けています。 そこで、今回は「発想法」について、私の考えるところを述べて見ます。 これを最初に記すべきだったと反省しています。

 まず、「発想法はどれぐらいの種類があるのか」という質問に対する答えは「わからない」ということです。 発想法の代表例としては「ブレーンストーミング法」があげられますが、私が実際に研修を受けたものにはこの他に「KJ法」や「MN法」があります。 また、この他にも世界中の人がいろいろな手法を考えているはずです。ですから100ぐらいなのか1,000以上あるのかもわかりません。極端に言えば、「考えたことがある人」の数だけあっても良いのではとも思います。 ただ、言えることは、発想法を多くマスターすれば、アイデアが次から次へと出てくるものでは決してありません。発想法自体が動き出して、アイデアを生み出させるものではなく、あくまでアイデアを出やすくするための潤滑材のようなものにすぎません。原動力はあくまで「自分」です。

 「アイデアはなぜ必要とされるのか」、「なぜアイデアを生み出そうとするのか」ということを考えてみます。 たとえば、「今抱えていえる問題を解決したい」、「もう少し効率を良くしたい」、「体力の消耗を減らしたい」、「お金を稼ぎたい」などなんらかの問題意識がものごとの始まりです。この問題意識が動機となって次の行動・思考が開始されます。

 「アイデアを出す」あるいは「アイデアを生む」ことと「問題を解決する」ことは必ずしも一致しません。 問題の解決には、必ずしもアイデアが必要とは限らないからです。その代表例が学校の一般的な試験問題です。試験問題というのは特異な存在で、そのほとんどは記憶情報の活用で処理でき、アイデアは必要としないのが常です。

 そして、答えは必ず存在し、かつ1つであるということ。このような問題は社会にはまず存在しません。社会では絶対正解というのは無いのが普通です。 答えがまったく無かったり、逆にいく通りもの答えがあったり、答えではないかと思われるものがある場合などいろいろです。

 社会では、答えが無いものでも解決する必要があります。このためにアイデアを生み出す必要があるのです。 そして、問題を解決したいと思う意識が強ければ、発想法などは何も学ばなくても自然と出てくるものです。ただ、その中でも発想法を知っておけば、ほんの少し出やすくなる程度のものと考えています。

 また、アイデアはその道のプロしか出せないものではありません。その道ではまったくの素人の場合でも「おかめ八目」的な効果で発想される場合も必ずあります。 ただ、その道の専門でない場合、問題意識が無いか、あっても希薄なため、重要なあるいは貴重なヒントが含まれている物、場面、現象などを見ても、アイデアに結びつかないことが多いのですが、ゼロでは決してありません。 私は自分の属している業界と関係のない人と話をしているときにヒントをもらうことが多々あります。

 アイデアを生むときだけでなく、あらゆるものに対して「最初に問題意識ありき」と私は考えています。

 そして、その問題に対する「意識の強さ」が強ければ強いほど、人よりも早く、人よりも優れたものが生み出せると考えています。  

 私がこのシリーズで述べている「発想法」とは、単なる「発想テクニック」ではなく、どちらかと言えば「精神面・気持ちの持ち方」に近い内容です。そしてそれがテクニックよりも優先すると考えています。  このため、世の中で言われている「発想法」とは少し趣が違うと言われても仕方がないことと思います。