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第5回 固定観念の上手な持ちかた

 誰しも多かれ少なかれ固定観念は持っています。ある意味、社会生活をする上で必要なものです。
ただ、アイデアの発想法に関する書物や講習会などで、「固定観念を打ち破りましょう」とか「固定観念を捨てましょう」といった内容を見たり聞いたりします。
「固定観念」はどうも「発想」という面からは、通常邪魔者扱いされがちです。 私もこの考えに同調して、「固定観念」を捨てようと努力した時期があります。

 話は少しそれますが、私は「捨てる」ということが下手な人間です。現在では死語とも言われる「もったない」という気持ちと、「いつか必要になるときがあるのでは」と思ってしまうからです。 捨てるより、なんでも拾い集めるのが得意というか、好きな方です。 家族から「こんなもの要るの?」、「これ、なぜ捨てないの?」、「今日、粗大ゴミの日だけれど、出すものは無いの?」などといつも言われています。
 驚いたのは、引越しの際に「すべておまかせ」的なコースで契約したのですが、実際に引越し作業をされる人から「この家は、要らないものが多すぎる」と言われたことです。 要るか要らないかは持ち主が判断することで、契約してお願いした業者の人に言われる筋合いはないのですが、いつも家族から言われていることは、他人から見ても同じ意見なのだと実感し、あらためて「やはり自分は捨てるのが下手な人間なのだ」と実感した次第です。 このような性分ですから、「固定観念」についても、捨てなくて良い方法はないものかと考えてみることにしました。

 その前に、「固定観念」を打破するにしても、捨てるにしても、まず「固定観念」とは何かを理解する必要があります。

「固定観念」の言葉の定義を見てみますと、

 「絶えず意識を支配し、それによって主として行動が決定されるような観念(広辞苑より)」

となっています。 この定義からすると、「固定観念」は一方的に発想を妨げるものと決め付ける必要はないように思えます。逆にこれを利用してはどうでしょうか。 特に「絶えず意識を支配する」というのが利用できると考えられます。
つまり、「発想には、一切の制限・制約は無い、あくまで自由なのだ」という固定観念を持つ。それも強く植え付けてしまう方法です。

 こうすれば、あとは「絶えず意識を支配し、それによって主として行動が決定される」わけですから、非常に好都合です。 ついでに、「アイデアは無限に存在し、際限のないもの」という固定観念も持つとさらに効果が出てきます。
この「固定観念」を新たに持つには、毎朝起きたときに必ず目にするところ、たとえば、トイレや洗面所に紙に書いて貼っておくのが有効です。
また、昼食後の休憩のときや仕事の合間など、機会があるごとに思い出して見るようにする。さらに思い出しやすいように、手帳や机の上にメモを置いて置くなどして、「固定観念」となるまで、しつこく繰り返せばそのうち定着してきます。

 パスカルが言った「人間は考える葦である」といったその言葉を、私は「人間は新しいこと、明日を考える葦である」と思い込んでいます。