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第11回 精鋭の作り方レシピ


 今回はアイデアの発想法というより、気持ちの持ち方(発想法)について提案します。

少数精鋭とは

 広辞苑で「少数精鋭」を引いて見ますと、「少数のえりすぐった者によって事にあたること。また、その人々」とあります。

 では、「えりすぐった者」ってどんな人でしょうか?また、「えりすぐった者」になるにはどうすれば良いのでしょうか?
 「実績を持つ者」ですとか「彼の右に出る者はいない」、「彼にかなう人はいない」と言われるような人など、 いろいろな考え方があると思います。 では、その人はなぜそうなったのか、あるいはなれたのでしょうか? 私は、結果よりもプロセスにヒントがあると思います。

 私の考えを先に言いますと、「えりすぐった者」になるには「少数でことに当たれば良い」ということです。 つまり「少数で事に当たっていると、精鋭になって行く」ということです。 そして少数の極限は「一人」です。ただ、一人でことにあたるだけではまだ不十分です。

一人+アクティビティ=精鋭

これが今回提案申したいことです。
 戦争経験を持たない私ですが、たとえば今戦場に一人で放り出されたら、全く訓練を受けていなくても 必死で自分の身を守るため、自分のありとあらゆる能力を発揮すると思います。「何も教えてもらっていない からできません。わかりません。」は通らないですから。
 それこそ漫画のゲゲゲの鬼太朗ではありませんが、髪の毛1本さえセンサーに使って気配を察して行動すること になります。もちろん訓練は受けていませんので、戦績を残すのは無理としても、昨日までの自分とは比べもの にならないほどの能力は自然と発揮すると思います。つまり即席の精鋭兵士予備軍のできあがりです。ちょっと たとえが飛躍しすぎてはいますが。

 「ビジネス戦士」と言葉としては使われることはありますが、実際のところ命をかけて毎日戦っている人は ほとんどいないと思います。少なくとも私自信はそうでした。
 ただ、自分一人で仕事をするようになって10年以上経った今、組織の中の一員として過ごしていたときと比べると、 何でもする・何でもできるようになりました。 少なくとも何らかのテーマなり問題が発生した場合、「誰かがやるだろう」という気持ちは完全に失せて、 まず「どうやるか」の気持ちが出るようになります。

 組織の一員だった頃、私は技術部門に所属していましたから、一端の「エンジニア」気取りになっていて、 「自分は技術で給料をもらっているのだから技術のことさえしていれいばよい」という気持ちでおりました。 たとえば、書類を書くときも、「わかる人が読んでわかれば良い」ぐらいの気持ちでしたから、日本語もうまく操れない。 またこの気持ちは、若気の至りも手伝って、鼻持ちならない態度としてはっきり表れていたと思います

 そして、今、決して精鋭と思い上がっているつもりはありませんが(なりたいとは常々思っています)、 営業活動から引き合い物件に対するプレゼン、見積書作成、実際の制作実務、納品、伝票・経理処理に至るまで こなします。一人しかいないのですから、自分でやるしかない。この結果なんとかできるようになったということです。

 先日、お客様先のご担当の方との会食時、たまたま「少数精鋭」の話題になったことがあります。 このとき、その方は「自分は組織の中の一員だから、一人でやろうと思ってもできない」と仰います。 現実はそのとおりで、私も経験から理解できます。でも、ここで気持ちの持ち方、発想のしかたで、変われるのではと思います。

アクティブであり続ける

 人を組織の中の歯車の1つとたとえられることがあります。
 通常、歯車はアクティブなデバイスではありません。前から伝わったことを次に伝えるだけです。 人間である以上、やはりアクティブであるべきで、自分を経由することによって、なんらかの「プラス」 を発生させて次に伝えることが「自分」の存在ではないかと考えています。その意味で「歯車」にたとえるのは 間違いであると思います。

 アクティブデバイスは、たとえ前段からの入力がゼロであっても自分で何かを起こせるのです。 ですから、組織の中におられる場合でも、何ら入力(指令)がこなくても自ら動き得ることを日々目指して行く ことが肝要かと思います。
 確かに組織内では「流れ」も大切です。決して協調性を軽く考えているわけではありません。 でも、ほんの少し、このようなことを考えた上で活動されると、考えていない場合に比べて何かが変わって行くと思います。

 このようなことを一対一でくどくど話しますと「余計なお世話」、「うるさい説教おやじ」になりますので、 この場で提案させていただきます。

 一度入力(指令)がゼロになったときの自分を想像してみてください。そこで自分は何をするか、何をなし得るか を考えてみてはいかがでしょうか?