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第16回 必要性がすべての起源

 昔のアニメに「ブタもおだてりゃ木に登る」というフレーズがありましたが、今回は木に登るニワトリの話です。

 奈良県天理市、山の辺の道ハイキングコース沿いに石上神宮があります。古代朝廷の武器庫であったことと、百済王から送られた とされる国宝の七支刀などで知られるのですが、(詳しいことは複数のホームページで紹介されていますので、 キーワードで検索してそちらを見てください。)今回は、この神社に住むニワトリからの発想です。

木に登るニワトリ

 ここで飼われているニワトリは、夜、狸(ときには野犬)の襲来から逃れるため、木の上で眠ります。
 最初、話に聞いた時点では、木の上と言ってもせいぜい2メートル程度の高さを想像しました。 狸や野犬から逃れるのならそれで十分なはずです。しかし、実際に出かけて目の当たりに見ると、 なんと5メートル以上、中には10メートルもあろうかと思われる高さにまで登っています。  登り方は、最初50センチ程度の枝に助走もなく羽をばたつかせて飛び上がります。そこから少し高い木の枝に順次 飛び移り、高さを稼いでいきます。その様子を見ていると成るほどと納得し、ニワトリも鳥だったのだと、改めて思わせます。

なぜそんなに高くまで

 その答えはニワトリの習性にありました。 狸も餌を求めて必死ですから、そこそこの高さに獲物がいると、ジャンプして捕らえようと試みます。実際は2メールもジャンプはできません。 でもニワトリはこれに驚いてか、あるいは次のジャンプでは届いてしまうのではとの恐怖心からか、地面に飛び降りて逃げようとします。 一旦地面に降りたら狸に軍配があがります。逃げる間もなく首をくわえられておしまいです。
 つまりニワトリには、自分たちの習性も知った上で、敵にジャンプされても驚かない高さが必要なわけです。 ただ、「狸にジャンプしようとする気を失せさせること」まで狙っているかどうかはわかりませんが。  私の家でも子供のころ、庭でニワトリを10羽ほど放し飼いにしていていました。たまに飼犬が遊びのつもりで追いかけると、 羽をばたつかせて数メートルぐらい飛んで逃げる姿は見ていました。しかし、たとえ登れそうな木があっても、登るのものは おりませんでした。私の家でも狸が出没するので、夜はニワトリ小屋の中に収容していました。つまり、家で飼っていたニワトリには、 木登りの必要性は全くなかったので、普通のニワトリとしての生活で十分だったわけです。

新たな必要性と目標を見つける

 人間も何らかの必要性に迫られたとき、あるいは目標を見つけることにより、努力・練習・訓練などで能力が引き出され、 レベルが向上します。
 「必要は発明の母」と言われますが、必要性は「発明」だけを生むのでなく、持っている能力を引き出し、 そして必要に合わせて体力までも向上させます。特にその必要性が「命」を守るレベルのものであれば、効果は最大となります。
 でも、日常生活においては、絶えず命の危機レベルまで緊張感を高めておくこと、そして何よりそのような緊張を持続させること は不可能です。もし、そんなことをすれば、普通の人なら参ってしまいます。

 でも、日々の生活の中で、「新たな必要性」を見出ことは大切だと思います。
 たとえば、自分は家族にとって、会社にとって、社会にとってどのような使命(必要性)があるのかを、 今一度見直して見てはと思います。その中で、「自分の使命を果たすために必要なものは何か」を考えて見るのもいかがでしょうか。

 昨日と同じ生活が今日、そして明日も続く保証はありません。

 何が起こっても「あり」の時代に移っています。目標の無いところに達成はありません。
 小さなものでも何か一つ見つかれば、今度は達成のために引き出すべき能力は何なのかを考え、新たな目標を定める ことができるのではないでしょうか。