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「もの」に限らず「人に」対して自分の勝手な決め付け・思い込みは、損をすると思っています。
一度痛い目に会ったり、不愉快な思いをした「こと・もの・人」に対して「あれはこうだ」、「あの人そういう人だ」など、
ついつい決め付け・思い込みをしてしまいがちです。
その中には、自分の体験からではなく、人から聞いた体験や感想をもとに、決め付け・思い込みをしてしまうこともあります。
これは最も危険な行為です。
決め付け・思い込みは、決して「プラス要素」は生み出さない、と私は考えています。
たとえ自分で体験した事実であっても、その事実はある側面・ある状況におけるもので、別の側面・状況では違った
レスポンスが返された可能性があるはずです。時には全く逆のレスポンスが返されることも珍しくはありません。
たとえば、完全な球体を完全な平面に同じ条件で当てた場合、同じ結果になります。でもこれが野球のボールになる
とそうは行きません。縫い目の状態やボールの芯の硬さなど、いろいろな要因が影響して、同じ結果は2度とないはずです。
まして結果の受け手が人間の場合、現象としてほぼ同じことが起こっていても、その受け取り方は人によっても違いますし、
同じ人であってもそのときの肉体や心理状態によっても大きく違ってきます。
くどくど言っていますが、言いたいことは、見るもの、感じるものは絶えずその状態・状況によって違うということで、
決め付け・思い込みは間違っている方が多いということです。
したがって、「あれは以前検討したが駄目だった」とか「あの人と話し合っても仕方がない」など、勝手に決め付け・
思い込んでしまうのは大きなマイナスです。
少なくともこのような決め付け・思い込みをしている間は、新しい何かを求めることはできません。
美しかったからすの羽
先日このことを久々に実感する出来事がありました。
近くの公園を歩いていたとき、羽を痛めて飛べない一羽のからすに出会いました。
この界隈には鷹や隼などが生息している様子はなく、多分からすは食物連鎖の頂点に君臨しているはずです。
その彼(彼女かも知れませんが、キャラがどうしても男っぽいので(これも立派な思い込みですが)そう呼ぶ
ことにします)は、悠然と風格をもって私に近づき、ついには私の足元に来てしまいました。
人間を小馬鹿にしているのでは、と思わせる彼らですが、それでもある距離以上近づくと逃げるはずのも
のが、その気配を見せずにまっすぐ向かって来られると、ある意味怖いものがあります。
足元に来てから、何を思ったのか嘴で私の靴紐を引っ張っり出したとき、私は彼の背中を見下ろしたのですが、
このとき「からすは真っ黒ではない」ことを始めて知りました。
彼の動きに合わせ、光の反射の具合が変わり、彼の背中は紫や藍、時には緑色など微妙に複雑に輝いていたのです。
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ついつい触ってみたくなって彼の背中を触ると、彼は私を見上げて嘴を開き、大声で怒りました。
その声の大きさもびっくりするほどの迫力です。
子供のころから今まで毎日のように彼らを見ていますが、大抵は木の枝や電線の上を見上げた状態の姿であり、
距離も10数メートル以上は離れた状態で聞く音量でした。
間近で見る嘴の大きさ、声の大きさに改めて驚くとともに、それまで私が彼らに対して持っていたイメージは間違い
であったことに気付いたのです。
今まで視線を合わすこともなく、なんとく彼らの顔は「強面」の人相(鳥相?)と思い込んでいました。
20分ほど遊んで(遊んでもらって)いるうちに、ペットショップで見かける小鳥のような「愛らしさ」はないに
しても、結構「愛嬌」のある顔をしていることもわかりました。
特に一瞬首を傾げるしぐさは、愛嬌があり、可愛くもあります。
アイデアを生み出すには、「新しいもの・こと」を探求することは大切です。でも、身近に毎日見ているものの中にも
ヒントを与えてくれるものは必ずあるという気持ちで見ることが大切です。
「人」の場合はもっと多くのことを気付かせてくれたり、教えてくれます。
今一度、目の前にいる人、存在するものに対して、自分の勝手な決め付け・思い込みで見ていないか、あるいは接し
ていないか確認してみてはいかかでしょうか。
ヒントになる何かが隠されていたり、気付かせてくれるものがあるはずです。
●彼への言い訳
本当はもっと自分が感じたような美しさを表現したくて、いろいろ描いて見たのですが、まるで雄の孔雀や
雉のようになってしまいます。いくらなんでもここまではないだろうと、書き直した結果、上のイラストがいっぱいいっぱいです。
私の描画能力の不足から、結局この程度に留まったのですが、彼に見せたらきっと「俺はもっと綺麗だぞ」と怒ると思います。
いや、首を傾げて「何を書いたの。ひょっとして、この汚いのもしかしてオレのつもり?」と聞かれそうです。
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