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第45回 サインの重み


ノーサイン

 これまで、私は自分の切り絵作品にはサインや落款は入れませんでした。
 展示会などで、「なぜ入れないのですか」と問われたときは、 「仏像は仏師の作品であって、その姿をモノトーンで模写しているだけの作品には、 入れる資格はないと考えるから」と答えてきました。
 これを聞いた方は「ふ〜ん」といった感じで、帰っていかれます。


ひょんなことから

 先日、私の仏像切り絵デザインが、とある寺院さんの記念イベントで配布されるものに 採用されることになりました。
 現時点では、開示して良いとの確認を寺院さんに取っておりませんので、ひとまず伏せておきます。
(掲載の阿修羅像は参考です。この仏像を所蔵されている寺院さんではありません。)
 その際、「サイン(落款)も入れること」との条件が出されました。
 慌ててサインを考えねばならず焦りました。作品のどこに、どのように入れるかも考えね ばなりません。結局、名前の1文字を漢字で黒のまま「影文字」のような形で入れることに決めました。 この間、一日の検討でした。
 ただ、この検討も時間制限がなく、いくらでも考える時間を与えられると、もっと良いものができた 可能性もあります。逆にいろいろいじりすぎのものになった可能性もあります。
 この名前、この漢字を付けてくれた両親に改めて感謝する結果となりました。

模写か、創作か

 写真を参考にしているとは言え、実際にモノトーンにデザインする際はラインを描いています。 特に、白と黒の切り分けは結構難しいです。ときには何度も描いては消し、消しては描いたりを繰り 返します。
 その作業は当然「創作」だと仰った方がいます。
 これまでの「単なる模写作業」と言う持論を完全に捨てたわけではありせんが、 たとえ模写にしても「描画」してるわけですから、私の作品と言っても良いのではと思うことにしました。
 さらに、今回は「サイン(落款)を入れる」ことが条件のお話ですから、そうするしかありません。

サインの効果

 実際にサインを入れて見ると、自分でもびっくりするほど気持ちが切り替りました。
 自己満足以前に、自分の作品であるとの「自覚」と「責任」を感じるようになります。
 ノーサインのときは、本当にお気楽なお遊び感覚でした。
 「個人が趣味で楽しんでいます。下手であろうが、何であろうがほっといてください。」と言った 気持ちで、これではなかなかステップアップは望めません。
 その意味で、一作一作に自然と力が入るようになります。これは私にとって大きなプラスです。  

 持論に固まって、自分で進歩・前進の芽を摘んでいたことを反省すると共に、このきっかっけを与 えて頂いたことに感謝します。  



(更新:2007.6.19)