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第31回 表現力(言葉の限界)


春の訪れ

私にとって、春の訪れを告げる花と言えば春蘭です。
シンビジュームの仲間で、北海道から九州まで、乾燥した林地に広く自生しているそうです。
梅の花が散り出し、まだ遅霜が降りるぐらいの季節に、山里にほのかな香りを漂わせて咲き出します。
子供の頃、山々に取り囲まれた環境に住んでいましたから、ある朝起き出して顔を洗うとき、 井戸端に春蘭のかすかな香りを確認したとき、春の訪れを感じたものです。
現在は、毎朝の公園(田舎ゆえ、公園というよりも立派な森)のウオーキングで微かな香りに出会えます。
細く長い葉の間から、可憐な花を咲かせます。その香りが何とも言えず心地よいのです。
掲載のイラストは、私の春蘭のイメージで、薄い白い衣装に身を包む森の妖精のような感じを抱いています。
できるだけその花の美しさを表現しようとしたものですが、テクニックの稚拙さから、色の再現はともかく「可憐さ」などは実際の花とは程遠いものがあります。 テクニックを上達させれば、さらに美しさ、可憐さを伝えることは可能です。


香りの表現

では「香り」はどうでしょうか。これを言葉で伝えるのは至難の業というより、不可能に近いと思います。
たとえば、「春蘭は、微かに甘い香りです。」ではとても表しきれていません。
抽象的に「爽やかな香り」、「心地よい香り」などと誤魔化せば、さらに伝わらなくなります。
ならば、「○○のような香り」と例える手法を探してみます。花屋さんでの店先でも機会があれば香りを嗅ぐのが好きですが、 私の抱いている「春蘭の香り」には廻り遭えていません。何処まで言っても「春蘭の香り」になってしまいます。
私にだけ判る表記としては、「春を告げる香り」です。これでは第三者にはわからないのですが、 この辺りが言葉の限界かと思っています。
もっとも、「香り」でもかなり正確に言葉で伝えられるものもあります。
たとえば、「ヘクソカズラ」がその一例です。アカネ科の蔓性多年草で、漢字で書けば「屁屎葛」です。
もうこれで想像いただけると思います。この花は下の写真のように小さくて可憐な花です。
でも花を手に取って押し潰しでもしようものなら「おなら」、「うんち」ほど酷くはないにしても、名前の由来は理解できます。


言葉で表せないもの

「香り」のように形のないものを第三者に正確に伝えるのは、不可能なものが多くあります。
まして人の気持ちとなれば、尚更です。
自分の気持ちを相手に伝える場合、言葉の力を借りるしかないのですが、本当の気持ちを正確に伝えるには、 実際に相手と面と向かって、気持ちを態度というより、「表情」と「物腰」で補って伝えるしかないと思います。
相手が遠方であったり、会えない状況では手紙しかなく、この場合はできるだけ言葉を選ぶのですが、 それでも無理なときは、最近は趣味の切り絵を同封するようにしています。
私の生業の一つはテクニカルライティングです。
第三者に少しでも正確にわかり易く伝える表記法について、日々研鑽しています。
でも、その限界をきちんと知り、無理な場合は、別の手段で補填することを面倒に思ったり、億劫に思うことのないよう、心掛ける今日この頃です。


(更新:2006.4.3)