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第26回 5秒の重み


PR活動

 趣味の切り絵(「第17回 白と黒の世界」参照)も作品数が100点を超え出すと、 皆さんに見てもらいたいとの自己顕示欲が湧き出してきました。 今回、某金融機関のロビーを提供頂き、19点を約1ヶ月展示させていただきました。
 この展示会の宣伝活動の一つとして、NHKの地方局で1分間の時間をもらって、PRする機会を得ました。 この放送に出演する中で、時間の大切さについて、改めて考えさせられることがありました。

 最初「1分間」と聞いたとき、「たったの1分?」と思ったものです。 でも、1分と言えば民法のコマーシャル4本に相当します。今回の放送時間は夕方の7時前ですから、 地方のUHFチャンネルと言えども、コマーシャルを4本打つとなると、かなりの金額に相当します。
 通常コマーシャルは、1本15秒できっちり主張しています。今回はその4倍もあるのですから、余裕だと言えないこともありません。 もっともコマーシャルは、その道のプロが智恵を絞り、タレントの選択から映像、音響に到るまで百分の一秒単位まで計算し尽くし、 多くのスタッフが時間をかけて仕上げた結晶です。(ときおり、そう思えないものに出くわすことはありますが。)
 それに対して、こちらはズブの素人です。うまくできるはずもなく、何度か録画してまともな部分を適当に1分にまとめてくれるのだろうと 勝手な想像をしていました。
しかし、聞いてみると「フリップを用意して、生放送でカメラの前に立って1分間喋って頂く。」と聞いて驚きました。
 当然のこと緊張するでしょうから、言い淀みや読み違いは当たり前、最悪は放送禁止用語を発してしまうのではないかなどと、 いろいろ考えます。 何分にも生放送ですから「ピー」も入れられません。すべてそのまま電波に乗ってしまうと思うと、あらぬ心配までしてしまいます。

「5秒が余裕?」

 前置きが長くなりましたが、今回取り上げる話は、スタジオで出番が来るまでの間、 スタッフ同士やキャスターとのやり取りの中にヒントがありました。
「時間が押して来ています。」、「打ち合わせの内容から変更ないか確認して!」などの言葉の間に、 「5秒余裕ありです。」、「了解!」といったやりとりが、てきぱきと行われ、現場はピリッとした緊張感に包まれます。  この中の「5秒の余裕」という言葉が、私の耳に残りました。
 放送業務であり、オーバーは1秒たりとも許されず、さりとて、余った時間を意味のない映像を流すことも 許されないことは理解できます。ただ、この業界において「5秒」は余裕なのです。
そして余裕が出れば、即その穴埋め策を考えなくてはならないのです。  私の生活の中で「余裕の時間」は有難いものです。無茶苦茶長くない限り一息入れていれば良いのです。 ところが、放送ではこの余裕、いや余った時間を有効に使う努力が必要なのです。たとえば、キャスターの顔を大写しにしておけば 良いものでもありません。

 私の場合、「5秒」を余裕と考えることは絶対にありません。
無意識の内に過ぎ去る時間です。場合によっては、「5分間」であっても「5分しかないからどうにもならんわ」 などと、「5分」を捨ててしまうもことも珍しくはありません。
 昔、学校の先生から聞いた言葉だと思いますが「5分間を有効に使えぬ人間は、1時間あっても有効には使えない。」 という教訓をあらためて思い出しました。 時間の大切さは重々認識しているつもりでしたが、まだまだ甘く考えているのではないかと反省させられました。 今後、日々の生活の中での「時間の無駄使い」はないか、もう一度チェックして見たいと思います。

ところで本番は?

 放送時間が来るまでの間に数回のリハーサルがあり、本番ではスタッフの方にお願いして、カメラの真下に原稿をかざしていただき、臨みました。
 結果、ほぼ棒読みになってしまいましたが、大きなチョンボもなく、なんとか乗り切ることができました。
 「終了!」の合図、そして「おつかれさま〜」の声を聞き、一気に緊張感が解けました。 何はともあれ、初めての経験は、キャスターから私への短い質問の追加で5秒プラスされた、1分5秒で無事終わりました。

(更新:2005.7.1)