毎朝のウオーキングコースに対照的な花が咲いています。
先に目に映るのは、太陽の光を思い切り受けて派手に咲く蓮の花です。
今年もその季節になったと、時の移ろいの速さを感じます。
蓮の花の花言葉には「雄弁」「清純な心」「純潔」「沈着」「休養」「優しさ」など沢山あります。
ただその中に「救ってください」と言うのもあります。この花を見ている限り、この花言葉は連想できません。
多分、仏像がこの花の上に立ち、あるいは座している姿から付けられたものではないでしょうか。
蓮池を過ぎ、杉木立に足を運んで行くと、今度は木々に光を遮られた少し暗いところで、
周りにほのかな香りを漂わせて、清楚に咲く笹百合に出会います。
笹百合は、日本だけに生息する百合の原種です。
花は飾り気もなく、素朴な淡いピンク色で、全体のイメージはとにかく控えめです。
だから「美しい」と思える面もあります。
業務上では
業務上、控え目でいては受注できません。特にプレゼン時などは、派手さだけがキー
ポイントとは言えませんが、強烈な訴求力を持たせないと意味がありません。
ましてコンペともなれば「喧嘩」ですから、勝つことが求められます。人間の闘争本能を思い切り奮い立たせ、
これでもか、これでもかと攻めかかります。
その結果として勝利を得たときは格別で、美酒に酔いしれることができます。
が、その逆のときは激しく凹みます。
真逆の中の共通点
1年を通じて活動・楽しめる趣味を現在2つ持っています。
まず1つ目は、このコラムでも何度も出てくる仏像切り絵です。
拝観してそのイメージをモノトーンにデザインし、切り絵に仕上げていると、
無風状態の湖面の如く、素直になんでも映せる鏡の如く「無」の心境になれます。
2つ目が詩吟です。
歌詞となる漢詩の意味するところは深く、人間形成、心の修行のことも多くあります。
しかし、一方では競技会(競吟と言います)があって、他人と競い合います。
早い話が喧嘩です。喧嘩を始めた以上は勝たねばなりません。そのため、日々切磋琢磨するわけです。
私はこの真逆の趣味のおかげで、バランスが取れているのではと思います。
ただ、真逆に見えるものにも実は共通点があります。
それは「無」あるいは「無心」になることの大切さです。
何事にも問題意識は必要です。しかし最後の最後は「無」の状態に入ったときに
大きな成果・結果が引き出せるように思います。
もっとも、何もせずにいきなり「無」になれるものではありません。
意識をしなくても、目的に向かって自然にその方向に進めるようになるまで鍛錬・訓練を
積み重ねての「無」が理想ではないでしょうか。