奈良法隆寺 金堂の御本尊は、止利仏師作の飛鳥彫刻の代表、釈迦三尊像です。アルカイックスマイルでも有名な傑作です。
同じ部屋には、この仏像をはじめ四天王像、薬師如来像、毘沙門天像、吉祥天像など国宝がずらりとならびます。
またこの部屋には阿弥陀如来坐像もおられますが、こちらは重要文化財指定で、私はこれまでこの仏像にあまり注目したことがありません。
拝観してもついつい国宝の方に視線が向いてしまい、阿弥陀像までなかなか向きません。
多くの写真集でも、この阿弥陀像を独立させて掲載したものは皆無に近い状態です。
バンダナ?
そんな中、先日図書館で岩波書店発行の「奈良六大寺大観シリーズ」の大型の写真集(重さが4kgもあり、
気合を入れないと持ち上げられないボリュームです)をパラパラと見ていて、
ふとこの阿弥陀坐像がバンダナのようなものを巻いておられるのに気づきました。
なぜかその姿がなんともかわいく見えました。
今までなぜ気付かなかったのか不思議です。帰宅後、他の写真集、たとえば2007年発行の朝日新聞社
仏教新発見シリーズの「法隆寺」を見ても、きっちりとバンダナが映っています。
実は応急処置
あらためて図書館へ出向き、多くの文献を読んでやっとその理由を見つけることができました。
これは実は光背を固定するためのほぞが折れて失われ、光背が取り付けられなくなったので、
代りに鉄製の帯金を鉢巻状に巻いて対処していた、いわば応急処置だったのです。
それにしても、随分と乱暴な修復・対処の仕方です。
平成元年になって、破損していたほぞを元通りに修復して光背を本来の形で留められるようにし、
不要になったこの帯金を外したと記してありました。
つまり、今はこのようにバンダナは巻いておられないのでしょう。
次回拝観したときにはぜひ確認したいと思います。
ブランドに惑わされぬ力を
今回のことで、人間の注意力が、ブランドによって随分と偏ってしまうこと、あらためて認識しました。
ショップで洋服などを買う場合ならごくごく当たり前の話です。でも仏像を拝観する場合でも「国宝」や
「重文」というブランドによって左右されることがわかります。
この阿弥陀坐像は鎌倉時代、仏師運慶の四男、康勝作の美しい銅像です。
でも、周りにもっと目立つものがあれば、当然影が薄れます。その上「国宝」と「重文」のブランドの差で、
さらに注意が向けらる機会が減ります。
このことは、社会や会社でも同じことが言えると思います。
気付かれない方も、また気付かなかった方も共にある意味不幸なことではないでしょうか。
これからは、ブランドや見た目の派手さ加減に惑わされることなく、
均等な注意力で物事を見つめる姿勢を心掛けたいと思わせる出来事です。