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第36回 移ろい


変化の把握

 世の中、日々変化していることは誰もが認識していますが、果たして日々変化している内容を厳密に 把握できているでしょうか。
 売上実績や為替レート、株価など数値で変化するものは簡単に把握できますし、グラフに表せば 一目瞭然です。
 でも把握しずらいものも多くあります。特に毎日見ているもの、接しているもの、 事象の変化などは把握するのは、容易なことではありません。

 よく「他所の子は早く成長する」といわれます。成長期の子供に数ヶ月ぶりに合うと、 その成長の速さに驚かされますが、毎日接している自分の子供の成長ぶりはなかなか認識できません。
 もっとも母親は洋服や靴を成長に合わせて買い替えるという行動から認識はしやすいのですが、 男親の場合は、たとえば昨年の運動会の写真や旅行でのスナップ写真などと見比べてやっと認識できると言ったケースもあります。

 また、自分の部下の成長ぶりなどは、なかなか確認できないのではないでしょうか。かえって他の部署の人から、 「彼、最近成長したね」と言われて初めて成長ぶりを見直すこともあると思います。
 まして、内面の心の変化などは、よほど親密な接し方をしないとわかりません。
 また、自分の成長なども把握できない代表ではないでしょうか。

メタセコイヤの木

 掲載のパタパタ写真は、毎朝ウオーキングするときに撮影しているメタセコイヤです。
 毎朝この木の前を通るのですが、ふと気が付くと青々と葉を付けています。また、紅葉し出したのは覚え ていても、今度気が付いたときはすべて落葉し、魚の骨のような状態になっています。 あるとき、何気なく毎朝撮影してみようかと思って撮影を開始しました。
 出張や、たまたま木の近くに人がいるときはなどを除き、毎朝ほぼ同じ時刻に撮影します。 現在約1100枚程度貯まっています。デジカメの時代だから出来ることです。
 貯めた写真は特にどうするわけでもないのですが、今回のコラムで使えて、有効だったことは確かです。

移ろい

 メタセコイヤの木も、1年間を10数秒程度に縮めて見ると、当然劇的に変化していることが分かります。
じわじわと変化するから変化の把握が難しいのです。同じ木でも桜や木蓮などといった花を咲かせるものは、 少なくとも花の時期は変化の確認が容易です。
 たとえば、自分の姿がこのようにして見れたらどうでしょうか。あまりの変化に戸惑うに違いありません。

 変化には、見落としてはならないものと、そうでもないものがあります。 すべてのことに対して、変化の有無、度合いに注意を払い続けることなど不可能です。
 ではその代表は何かと聞かれても、人によって大きく変わってきます。
 健康面に気を付けている人は、体重や血圧などでしょう。幸いなことに現在健康 (と思い込んでいるだけ?)な私は、この面でも無頓着です。

 ただ現在、私が気を付けねばならないと思っていることは、「気力」の移ろいです。
 体力面の衰えはどう抗っても仕方のない面もあります。しかし気力面、精神面は別に年齢に比例(反比例?)させる必然性はありません。
 何かを思い立ったとき、「よしっ!やろう」と思う気力が衰えを見せていないか、また即行動に移せているかどうか、 日々チェックを続けたいと思っています。

(更新:2006.8.15)