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第35回 自信と自惚れ


検索でのヒット数

 ネットで「自信と自惚れ」をキーワードで検索すると、軽く1万件近くヒットします。
 それだけみんなが意識(注意・注目・警戒)していることを意味するものと受け取れます。

広辞苑を引いて見ますと

「自信」
   自分の能力や価値を確信すること。自分の正しさを信じて疑わない心。

「自惚れ」
   自分で自分を(実際以上に)すぐれていると思う。自負する。

確かにその通りであり、両者の差も理解できます。

生まれつき

 子供の頃から親に「自惚れの強い子だ」と良く言われていました。
 我が子可愛さから、自分の子供のことはあまり悪く思いたくなくても、やはり平均以上と感じたのでしょう。
 自惚れが強いということは謙虚さがないわけで、第三者から見れば鼻持ちならない存在です。
 本人としては、自信を持っての行動、言動のつもりであっても、第三者から見れば、 「自惚れ」と映ったに違いありません。
 ただ、「自信」があるからこそ、はっきり物が言えますし、思い切り物事に取り込めるわけです。
 もし私から「自信」を取り去ると、もう私ではなくなるのではと思っています。

練習と結果

 台風が来ようが吹雪になろうが、前夜接待で午前の帰宅になろうが、毎朝欠かさず4キロ弱の ウオーキングをし、その中間折り返し地点で詩吟のための発声練習をしています。
 これまでこのプログラムを休んだのはインフルエンザで39.8度の発熱でひっくり返った3日間ぐらいです。
 出張の際は、ウオーキングはともかく、発声の練習場所確保が難しく苦労します。 昨年台湾へ出張の際などはその典型です。 朝早くホテルを出て、昨日の内に発声練習場所として目を付けておいた公園へ行ってみますと、 大勢の人が静かに太極拳をされています。
 ここなら良いかと公園の端の方で発声練習を開始、最初の一声で、太極拳のポーズを決めた状態で、 全員顔だけ私の方を見て睨んでこられました。そのあまりの気迫に勝手に声が止まりました。
 数秒後、何事もなかったように元の動きに戻られたので、ほっとして、次の言葉を発声した途端、 今度は怒気を含んだ視線がとんで来ました。
 これ以上続けると、何が起こるかわからないと判断し、スゴスゴとホテルに戻りました。

 この練習が功を奏して、先日の詩吟の競技会で予想以上の成績を残すことができました。
 自分自身でも予想外であり、他の人から見てもそうだったと思います。 顔見知りの人から「おめでとう」、「良かったね」、「すごいね」と声をかけて頂きました。
 嬉しいのは当然ですが、問題はここからです。

 今回の実績を自信につないで、次のステップを狙おうと思っていますが、やはり一番怖いのは 「自惚れ」と言う魔物です。
 自分でも驚くらいの出来すぎで、これで「自惚れ」のスイッチを入れるなと言う方が難しいレベルです。
 大体において、これをコラムのネタにしようとしている時点で、既に自惚れが出ていると言われれば、 確かにその通りかも知れません。

若い頃の対策

 社会人としての駆け出しの頃、「もっと謙虚になれ!」と上司に叱られたこともありました。
 そのときは従順に「はい。わかりました。今後注意いたします。」と答えはするのですが、 果たして具体的にどうすれば良いのか、その当時は全くわかりません。
 もっとも、心の中でベロを出すような不遜な気持ちでは決してありませんでした。 具体的にやったことと言えば、叱れた内容とレベルに応じた期間だけ、言動を7〜8割 ぐらい抑えた姿勢・態度で生活するに留まっていました。

これからの対策

 若い頃のように単に行動・言動を何割か抑えるだけでは意味をなしませんから、 最近は以下のような手法を用いています。

 朝目覚めたときに「謙虚さ」などと書いたメモなどを読んで、自分自身に言い聞かせて一日をスタートさせます。
 そして、就寝前のチェックも忘れずに行います。
 今日は「自惚れ病」は発症させえていなかったか、天狗になっていないか、出来うる限り冷静にチェックすることにしています。
 果たしてこれでどれだけの成果が出ているのか掴めてはいませんが、現時点でベストとまで 行かなくても、ベターな対応ではないかと思っています。

 皆さんは、日々「自惚れ病」にどのように対峙されていますか。
 良き手法、良きアイデアなどご存知でしたら、お教え頂きたいと思います。


(更新:2006.8.1)