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第20回 フルパワーの爽快




今回は発想法でなく、ストレス解消法についてのお話です。よい発想をするには、ストレスを上手に発散させることが必須ですので、取り上げる次第です。

 皆さんは次のような衝動に駆られたことはありませんか。
・愛車のアクセルを床に付くまで思い切り踏み込んでみたい。
・新しく買ったオーディオ機器のボリュームを最大に上げて見たい。
・海岸を歩いているとき、砂浜の先に小さく見える灯台まで全力で疾走してみたい。

私などは、子供の頃から今日にいたるまで、このような衝動に駆られることしばしです。
理由は、フルパワーを出すことで、スカッとしそうな気がしてならないからです。

フルパワーを出すことの爽快感をいつから味わっていないのか振り返ってみます。

・車:
現在ゴールド免許で、ここ5年以上スピード違反はしていないし(いや、速度違反中に捕まっていないだけ)、床まで踏み込めば命にかかわりそうでできない。

・オーディオ:
はた迷惑を先に考え、またヘッドホンでやると聴覚障害が起きるのは明らかなので一度もやったことがない。

・走る:
小学校の運動会の徒競走以来(高校生では全力の行為は恥かしく思えて適当に走っていた。)

 つまり小学生以降、40年以上味わっていなかったのです。

 年齢とともに体の機能は低下しますので、砂浜を全力で走るなど無謀なことをすると、最悪は足がもつれてこけて骨折、そこまでは行かなくとも関節を痛めたり、筋肉痛の覚悟が必要です。「スカッとするかも知れない」代償に対し、リスクが高すぎます。
自分の持つ能力の発揮レベルは、いろいろな面で自制心や理性が制限をかけています。
人に迷惑をかけない範囲や場所でなら、この制限をはずせば良いのですが、そのような機会はなかなか見つからないものです。

「フルパワーを出す」ことの爽快さ

  たとえば、山に登ったとき、たとえ周りに人がいなくても、鬱憤を晴らすために「○○のバカヤロー」なんて叫ぶことなど恥かしくてできません。
みんなと一緒ならいざ知らず、一人では「ヤッホー」ですら、なかなかフルパワーでは叫べません。

 以前、とある商工会議所で講演をやったときのこと、マイクの調子が悪く、ガリガリ言ったり、途中で途切れる会場がありました。
声の大きさには自信があったので、マイクを切って自声でしゃべり出しました。10分ほどすると、後ろの席の方から「聞こえませ〜ん」の声。これにはショックを受けました。
 最近はネット上でのメールの多用で、打ち合わせ、会議、電話など声を出す機会が激減しています。その結果、声帯が衰退しだしているのです。
 文字はというと、キーボードを打ち出してからどんどん衰退し、今では自分の書いた文字すら読めないという体たらくです。

 この上、声も失っては一大事と、声を出す訓練には何が良いかをいろいろ探しました。
 幸い、住宅地に公園(田舎でもあり、公園というより山)が隣接しています。そこを毎朝ウオーキングするのですが、他にもウオーキングする人も多く、発声訓練で朝からカラオケの練習をする勇気はありません。そこで選択したのが「詩吟」です。これなら漢詩でもあり、カラオケより恥かしさは少ないのではとの判断でした。
もっとも、高校時代、一番嫌いな科目は「古文」と「漢文」でした。

 毎朝フルパワーの声で発生練習を続けて、ちょうど2年を経過します。真冬は氷点下に下がり、その中で声を腹からフルパワーで出していると、10分もすればじんわりと体中から汗が出てきます。夏場はもう滝のごとく流れます。これで気分的にもスカッとします。
 声も出し過ぎ、使いすぎると、ポリーブができる可能性もありますが、何時間もやっているわけではありませんから、まずはその心配もないと思います。

 ただ、仕事が順調に消化できていないときや嫌なことがあったとき、心配事を抱えているとき、あるいは気持ちがなんとなくスッキリしないときなどは、最初の内なかなか声も出にくいものです。でも練習を続けるうちにパワーレベルが徐々に上がり、20分ほどでもう腹(最初は喉でしたが最近、やっと腹式呼吸が少し会得できた結果、みぞおち辺り)が痛くなってきます。そして練習が終わったときにはスカッとした気分になれます。
フルパワーを出し切ったときの爽快さに出会えるのです。

うれしい副産物

 詩吟では、呼吸法を訓練させられます。横隔膜のコントロールをマスターして腹式呼吸を行うのですが、これがまた健康に良く、副産物としてウエストがベルトの穴1つ分以上小さくなりました。「ウエストは年々増えるもの」と諦めていたのですが、これはうれしい驚異です。

 もう一つ詩吟で目覚めたのは競争心です。1年に何度となく競技会(競吟と呼びます)があり、そこで競うわけです。
人間には闘争本能があります。この本能の発揮を迫られます。ただ、競えば必ず勝者と敗者に分かれます。負けたときの悔しさを回避するための自衛策として、競うことにはついつい消極的になりがちです。
敗者になれば気分が悪く、勝者になれば気持ちが良いです。
ならば、気持ちの良いほうに入るよう闘争心を燃やして努力することになります。

 競吟では、イラストのようにスーツ・ネクタイ姿の直立不動で行います。無茶苦茶に堅苦しいです。
でも、たまにはこのような形もピリッとして良いものです。

皆さんも一度トライしてみませんか
イラストはイメージです。(私ではありません。念のため)

(更新:2005.01.01)