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第17回 白と黒の世界 思い切り単純化して、ポイントを探る

 世の中、白黒はっきり区分できないものがあることは百も承知していますが、 それでも私は「中間」というものに対して気持ちがすっきりしないというか、落ち着かない方です。
 「では、お前はデジタル人間か」と問われると、「いやそうではない」と反論します。世の中、白黒だけでなく グレーもあります。グレーがないと困るとも思っています。
 なぜ、このような話題になるかと言いますと、最近やたらと「切り絵」に燃えていて、 その中から発想法らしきものを見出せたからです。


切り絵について

 これまで切り絵は、年に一度の年賀状に貼る干支を切るのと、 たまに誰かのお祝いに贈りたいときに作るだけでしたが、最近自分でもわからないのですが 、やたらと切りたいという意欲が沸いてくるのです。特に仏像を見たときに顕著です。  「切り絵」にもいろいろあって、フルカラーで表現されているのもありますが、私のは、 あくまで白か黒だけでどこまで自分の受けたイメージを表現できるかに挑戦するものです。本当は実物を見て、その場でスケッチしたいのですが、悲しいかなスケッチ能力はなく、 また寺院によってはスケッチすら「ご遠慮ください」となっていることもあって、今は写真をベースにしています。
 切り絵の原画を写真から作るとき、どのグレーレベルを境界にするか当然迷うところです。 イメージに合わせて決めますが、進めるうちに、境界のグレーレベルが知らず知らずの内に場所に よって変わっていることがあります。
 あるレベルを境に正確に白と黒に分けるなら、それこそ写真をコンピュータに取り込み、画像編集 ソフトで境界を分ければ良いことです。この間マウスボタンを数回クリックすれば済みます。ただここが面白いところで、 コンピュータで2値化しただけでは、仏像が見せる微妙な表情は出せません。微妙な表情を表すために柔軟に 境界値を変えて自分が受け止めた表情をいかに出すか、いろいろ試行して詰めます。この作業が難しくもあり、面白くもあるのです。
あとは白黒に分けた原画を元に和紙を切るのですが、切っているときはもう何も考えずにカッターの刃先をひたすら追うだけです。
 このとき、頭は「空」の状態になります。この時間がまた、ここち良いのです。


切り絵を通して

 この辺りで、本題の発想法に移りますが、先日切り絵をしている最中にふと感じたことがあります。
 日常、仕事上の問題、人間関係、金銭がらみなどいろいろややこしい問題が起こります。 あまりにいろいろな事項・要因が絡み合って、一体何が原因か分からず、解決策も見出せなくなることも多々あります。 「一体何が原因でこうなったのか?」と原因がわからないようなとき、全体を見てしまうと、「何やらややこしいもの」 が見えるだけで、糸口が見えません。  それを、ある一つの閾値を設定して、思いつく原因らしきものを1つづつ振り分けて見てみます。 たとえば、今直面している問題の原因と考えられるものを取り上げ、これは本流か支流か、直接原因か間接原因か、 時間または金で解決でるのかそうでないかといった基準を設けて振り分けてみるのです。 あまり判断に時間をかけず、直感的に分別した方が良いように思います。 判断が鈍るあるいは時間がかかるときは、まだ単純化ができていないことがあります。 このようなときは振り分け基準をもっと単純化できないか試みます。  こうして一巡させ、残ったものを再度振り分けます。これを2〜3回繰り返すと、ひょっこり肝心要の原因が 見えてくることがあります。

 全体を見てしまうから見えなかったものが、単に2つに振り分けるだけの単純化によって意外な結果が現れることもあります。

 この発想法を思いついたときの「切り絵」を掲載します。題材は奈良市にある新薬師寺の十二神将と薬師如来です。
(十二神将の名前は、現在新薬師寺で提示されている名前にしています。)